北岡伸一! 「この男、危険につき」  WAKAB

2015年06月22日 03:41

北岡伸一!「この男、危険につき」  WAKAB.

-日米安保優先、憲法九条無力化の戦後体制が生み出した「交戦国になる決意」―ちょっと長くなりますが、戦後七〇年の「日本の決意」に関する重要なことだと思う、という身勝手な「私の思い込み」に免じてご容赦願い、最後までお付き合いくだされば幸いです。北岡伸一、彼は「21世紀構想懇談会」、すなわち首相の戦後70年談話の有識者懇談会の座長代理を務める人物、実質的な座長である安倍ブレーンの論客だ。この安倍ブレーンが「読売新聞」(6/7朝刊)に「戦後70年談話」に関する長文の寄稿文を発表した。この北岡論文の結論は「明確な過去の否定、戦後への誇り、そしてさらなる貢献の決意、これらは三位一体のものなのである」だ。この「三位一体」の第一の北岡の言う「過去の否定」とはいかなるものか?北岡は、かつて植民地主義や侵略も、「必ずしも悪いこととはされていなかった」としながら、「問題はその違法性である」とする。植民地主義や侵略に合法と違法があるという考えだ。彼の言う合法と違法の基準は「国際秩序」だ。北岡のあげる「国際秩序」の例は、第一次大戦後末期にウィルソン米大統領による「民族自決原則」が出され、一次大戦後にこの原則に基づき植民地支配を改める国際秩序として1922年のワシントン会議での「これ以上の植民地化はしないという合意」を挙げている。ところが1929年の大恐慌で、世界がブロック経済化という保護主義に走り日本はいわば「経済封鎖」状態になった。こうして「30年代の日本は軍事発展主義に転じ」、植民地拡大のため満州、中国本土、東南アジアへと侵略と戦争を拡大した。「国際秩序」に反して植民地拡大、侵略に走った、この「違法行為」を戦前の反省とせよというのが、北岡の歴史認識だ。「三位一体」の第二、「戦後への誇り」とは何か?戦後の日本の経済発展は、「その基礎に、安定した(国際)秩序があったから可能だった。それを提供したのはアメリカだった」。「国際秩序」に違反し軍国主義に走った戦前の反省は、戦後、米国主導の「国際秩序」に全的に依拠して軍事は米国(日米安保)に任せ、もっぱら経済発展に力を注ぐ形で戦後日本に生かされた。これが北岡の言う「過去の否定」と一体の「戦後への誇り」だ。そして「三位一体」の第三、「さらなる貢献の決意」へと進む。戦後日本の経済的発展を支えた米国主導の国際秩序だが、「日本は必ずしも、自ら努力して世界の自由な体制を担ってきたわけではない」、このことを日本人の多くは知らない、「これは是正する必要がある」と北岡は説く。「防衛は日米安保(米軍)に任せ、経済発展だけを享受した戦後日本は良かった」と喜んでる場合ではない、ということだ。日本人が是正すべきは、「今や日本はより多く、世界秩序の維持に貢献しなければならない」という戦後70年の日本の役割認識だ。北岡伸一の語る「三位一体」論を貫く真髄思想は、「国際秩序」を守ること、ここに戦前の教訓も戦後への誇りもある、しかし戦後の米国主導の国際秩序が米国の弱体化で揺らいでいる。だから日本の「さらなる貢献の決意」が問われ、安保関連法案は必要とされるのだ。こう北岡は結論付ける。憲法九条について北岡は、第一項は変える必要ないが、「交戦権否認、戦力不保持」の第二項を変える必要があると主張する。北岡伸一の言う戦後七〇年の「さらなる貢献の決意」とはアメリカの秩序を破壊する国とは戦争も辞さない国になる決意、「日本が交戦国になる決意」なのだ。戦後、日米安保優先の下で憲法九条無力化を続けた結果、今日の安倍政権、北岡式の「交戦国になる決意」を米国から迫られる、そんな日本になったのだ。これが戦後体制なのだ。戦後七〇年、日本に問われている決意とは、この古い戦後体制を脱却する決意であるべきだ。それは日米安保優先ではなく、憲法九条(特に第二項)尊重の日本になる決意だと思うが、このことはまた考えたいと思う。